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最も充足感を得られたであろうと思えた事はなに?


»60
孫を抱いた時です。あの感動は、なにか自分が親に抱かれているよな、不思議な感覚でした
阿久悠さんの『津軽海峡・冬景色』が
なんですごいのかっていう話があって。
「上野発の夜行列車降りたときから
 青森駅は雪の中」
という2行で700キロ旅してるんです。
rurinacci:

起きたらストーカー。おねいちゅわ〜ん❤ #cat #ねこ部 - @ma9yu- #webstagram

rurinacci:

起きたらストーカー。おねいちゅわ〜ん❤ #cat #ねこ部 - @ma9yu- #webstagram

(sunsyunから)

topherchris:

I almost attempted to describe Nyan Cat to a reporter yesterday, but decided against it because I didn’t want to sound batshit crazy.

topherchris:

I almost attempted to describe Nyan Cat to a reporter yesterday, but decided against it because I didn’t want to sound batshit crazy.

(出典: princerutosunsyunから)

see/pass you again: 「自分の嘘をよく覚えている人間は、嘘をつくのに向いている。芥川が昔そう言っていた。自分の嘘を信じさせることで状況をコントロールしている気分にな...

seepassyouagain:

「自分の嘘をよく覚えている人間は、嘘をつくのに向いている。芥川が昔そう言っていた。自分の嘘を信じさせることで状況をコントロールしている気分になる。相手の嘘を信じて、かわいそうな自分に同情する。相手を責めたり相手に詰られたりして、つかの間の力関係の変化を味わう(支配/被支配はいつでも魅力的な遊びだ。入れ替えができれば尚)。そのプロセスに嗜癖している。相手を深く傷つける自分と相手に激しく損なわれる自分が好きでたまらない。これはちょっと他に類を見ない娯楽だ」

「だいたいにおいて、私ぐらいの年齢になると、愛してほしいと思っている人間のうちどれほどの人間に実際に愛してもらっているかどうかが、人生の成功の度合いを本当に測る物差しになる。大金持ちというのはいっぱいいて、公をねぎらう晩餐会を開いてもらったり、病院の棟に自分の名前をつけてもらったりする。しかし、世界中の誰にも愛されていないというのがほんとうのところだ。私ぐらいの年齢になって、誰にも良く思われていなかったら、銀行の貯金がいくら莫大でも、人生は大失敗だ。そのことは、人生をどう生きて来たかを表す究極のテストなんだ。あいにく愛は金では買えない。セックスは金で買える。公をねぎらう晩餐会も金で買える。どれほど素晴らしい人物かということを書いたパンフレットは金でつくれる。だが、愛を得るには愛される人間でなければならない。金持ちほど口惜しいだろうね。小切手さえ書けばいいと思っているから。100万ドル分の愛を買いたい、と。だが、そういうわけにはいかない。愛はあたえればあたえるほどもらえるものなんだ。」
競走馬で子孫が残せるのはごくわずかのエリートだが、その選りすぐりのエリートの子孫でも競争馬で通用しないケースのほうがはるかに多いらしい現実を、私は乗馬を通じてまざまざと知らされた。以来、人間社会でも安易な世襲なぞ決して許されていいわけがないと思うようにもなった。
 そのことに関してはまた、習い始めた頃に、とあるインストラクターから聞かされた今に忘れがたい話もあり。私は馬上でそれを耳にした。ほかにも何人かが馬に乗って、ただグルグルと馬場を歩きまわっていた時のことだ。馬はいずれも競馬界の落ちこぼれのごとく緩慢な動きを見せていたが、インストラクターは唐突に「この子たちはみんなエリートなんですよ」と穏やかな口調で話し始めた。

 サラブレッドはもともと速く走ることを目的に作られた品種なので、アマチュアの乗り手が耐えられるようなスピードで走るのはむしろ難しい。故に競馬界を引退したサラブレッドの多くは、訓練を受け直しても一般人の乗用馬にはなれずに、虚しく命を落としてしまうのだという。
「ゆっくり走るようになれるのも才能です。だからこの子たちはエリートなんです」と最後は断固たる口調で締めくくられた。コペルニクス的転回ともいえるその発言を聞いて、私は自身でも意外なほど強く心を打たれたのだった。
 ゆっくり走れるのも才能とは、実に言い得て妙で、あらゆる物事に関しての暗喩ともなる。個人の生き方、組織の運営、さらには社会のあり方にもアナロジーが適用される。
 命をつなぐ方法は、何も競争で速く走って勝ち残るのみではないのだ。そうした価値観の転換は人を生きやすくさせるかもしれない。また地球の未来にとっても必要なことではないか、と思ったりする。

活字中毒R。


2012年4月15日の『日本経済新聞』の文化欄に掲載された、松井今日子さんの「馬が教えること」というエッセイの一部

(via koris1974)

(petapetaから)

(sunsyunから)

最も充足感を得られたであろうと思えた事はなに?


»60
孫を抱いた時です。あの感動は、なにか自分が親に抱かれているよな、不思議な感覚でした
阿久悠さんの『津軽海峡・冬景色』が
なんですごいのかっていう話があって。
「上野発の夜行列車降りたときから
 青森駅は雪の中」
という2行で700キロ旅してるんです。
(via ak47, j-p-g)

(via ak47, j-p-g)

caelestial:

See you :) by mie** on Flickr.

caelestial:

See you :) by mie** on Flickr.

rurinacci:

起きたらストーカー。おねいちゅわ〜ん❤ #cat #ねこ部 - @ma9yu- #webstagram

rurinacci:

起きたらストーカー。おねいちゅわ〜ん❤ #cat #ねこ部 - @ma9yu- #webstagram

(sunsyunから)

topherchris:

I almost attempted to describe Nyan Cat to a reporter yesterday, but decided against it because I didn’t want to sound batshit crazy.

topherchris:

I almost attempted to describe Nyan Cat to a reporter yesterday, but decided against it because I didn’t want to sound batshit crazy.

(出典: princerutosunsyunから)

(出典: undakovrak47から)

see/pass you again: 「自分の嘘をよく覚えている人間は、嘘をつくのに向いている。芥川が昔そう言っていた。自分の嘘を信じさせることで状況をコントロールしている気分にな...

seepassyouagain:

「自分の嘘をよく覚えている人間は、嘘をつくのに向いている。芥川が昔そう言っていた。自分の嘘を信じさせることで状況をコントロールしている気分になる。相手の嘘を信じて、かわいそうな自分に同情する。相手を責めたり相手に詰られたりして、つかの間の力関係の変化を味わう(支配/被支配はいつでも魅力的な遊びだ。入れ替えができれば尚)。そのプロセスに嗜癖している。相手を深く傷つける自分と相手に激しく損なわれる自分が好きでたまらない。これはちょっと他に類を見ない娯楽だ」

「だいたいにおいて、私ぐらいの年齢になると、愛してほしいと思っている人間のうちどれほどの人間に実際に愛してもらっているかどうかが、人生の成功の度合いを本当に測る物差しになる。大金持ちというのはいっぱいいて、公をねぎらう晩餐会を開いてもらったり、病院の棟に自分の名前をつけてもらったりする。しかし、世界中の誰にも愛されていないというのがほんとうのところだ。私ぐらいの年齢になって、誰にも良く思われていなかったら、銀行の貯金がいくら莫大でも、人生は大失敗だ。そのことは、人生をどう生きて来たかを表す究極のテストなんだ。あいにく愛は金では買えない。セックスは金で買える。公をねぎらう晩餐会も金で買える。どれほど素晴らしい人物かということを書いたパンフレットは金でつくれる。だが、愛を得るには愛される人間でなければならない。金持ちほど口惜しいだろうね。小切手さえ書けばいいと思っているから。100万ドル分の愛を買いたい、と。だが、そういうわけにはいかない。愛はあたえればあたえるほどもらえるものなんだ。」

(出典: lizajane93ak47から)

(出典: hanxiaotianak47から)

(出典: ljuliaskaholicから)

競走馬で子孫が残せるのはごくわずかのエリートだが、その選りすぐりのエリートの子孫でも競争馬で通用しないケースのほうがはるかに多いらしい現実を、私は乗馬を通じてまざまざと知らされた。以来、人間社会でも安易な世襲なぞ決して許されていいわけがないと思うようにもなった。
 そのことに関してはまた、習い始めた頃に、とあるインストラクターから聞かされた今に忘れがたい話もあり。私は馬上でそれを耳にした。ほかにも何人かが馬に乗って、ただグルグルと馬場を歩きまわっていた時のことだ。馬はいずれも競馬界の落ちこぼれのごとく緩慢な動きを見せていたが、インストラクターは唐突に「この子たちはみんなエリートなんですよ」と穏やかな口調で話し始めた。

 サラブレッドはもともと速く走ることを目的に作られた品種なので、アマチュアの乗り手が耐えられるようなスピードで走るのはむしろ難しい。故に競馬界を引退したサラブレッドの多くは、訓練を受け直しても一般人の乗用馬にはなれずに、虚しく命を落としてしまうのだという。
「ゆっくり走るようになれるのも才能です。だからこの子たちはエリートなんです」と最後は断固たる口調で締めくくられた。コペルニクス的転回ともいえるその発言を聞いて、私は自身でも意外なほど強く心を打たれたのだった。
 ゆっくり走れるのも才能とは、実に言い得て妙で、あらゆる物事に関しての暗喩ともなる。個人の生き方、組織の運営、さらには社会のあり方にもアナロジーが適用される。
 命をつなぐ方法は、何も競争で速く走って勝ち残るのみではないのだ。そうした価値観の転換は人を生きやすくさせるかもしれない。また地球の未来にとっても必要なことではないか、と思ったりする。

活字中毒R。


2012年4月15日の『日本経済新聞』の文化欄に掲載された、松井今日子さんの「馬が教えること」というエッセイの一部

(via koris1974)

(petapetaから)

(skaholicから)

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最も充足感を得られたであろうと思えた事はなに?


»60
孫を抱いた時です。あの感動は、なにか自分が親に抱かれているよな、不思議な感覚でした
"
"阿久悠さんの『津軽海峡・冬景色』が
なんですごいのかっていう話があって。
「上野発の夜行列車降りたときから
 青森駅は雪の中」
という2行で700キロ旅してるんです。"
"「だいたいにおいて、私ぐらいの年齢になると、愛してほしいと思っている人間のうちどれほどの人間に実際に愛してもらっているかどうかが、人生の成功の度合いを本当に測る物差しになる。大金持ちというのはいっぱいいて、公をねぎらう晩餐会を開いてもらったり、病院の棟に自分の名前をつけてもらったりする。しかし、世界中の誰にも愛されていないというのがほんとうのところだ。私ぐらいの年齢になって、誰にも良く思われていなかったら、銀行の貯金がいくら莫大でも、人生は大失敗だ。そのことは、人生をどう生きて来たかを表す究極のテストなんだ。あいにく愛は金では買えない。セックスは金で買える。公をねぎらう晩餐会も金で買える。どれほど素晴らしい人物かということを書いたパンフレットは金でつくれる。だが、愛を得るには愛される人間でなければならない。金持ちほど口惜しいだろうね。小切手さえ書けばいいと思っているから。100万ドル分の愛を買いたい、と。だが、そういうわけにはいかない。愛はあたえればあたえるほどもらえるものなんだ。」"
"競走馬で子孫が残せるのはごくわずかのエリートだが、その選りすぐりのエリートの子孫でも競争馬で通用しないケースのほうがはるかに多いらしい現実を、私は乗馬を通じてまざまざと知らされた。以来、人間社会でも安易な世襲なぞ決して許されていいわけがないと思うようにもなった。
 そのことに関してはまた、習い始めた頃に、とあるインストラクターから聞かされた今に忘れがたい話もあり。私は馬上でそれを耳にした。ほかにも何人かが馬に乗って、ただグルグルと馬場を歩きまわっていた時のことだ。馬はいずれも競馬界の落ちこぼれのごとく緩慢な動きを見せていたが、インストラクターは唐突に「この子たちはみんなエリートなんですよ」と穏やかな口調で話し始めた。

 サラブレッドはもともと速く走ることを目的に作られた品種なので、アマチュアの乗り手が耐えられるようなスピードで走るのはむしろ難しい。故に競馬界を引退したサラブレッドの多くは、訓練を受け直しても一般人の乗用馬にはなれずに、虚しく命を落としてしまうのだという。
「ゆっくり走るようになれるのも才能です。だからこの子たちはエリートなんです」と最後は断固たる口調で締めくくられた。コペルニクス的転回ともいえるその発言を聞いて、私は自身でも意外なほど強く心を打たれたのだった。
 ゆっくり走れるのも才能とは、実に言い得て妙で、あらゆる物事に関しての暗喩ともなる。個人の生き方、組織の運営、さらには社会のあり方にもアナロジーが適用される。
 命をつなぐ方法は、何も競争で速く走って勝ち残るのみではないのだ。そうした価値観の転換は人を生きやすくさせるかもしれない。また地球の未来にとっても必要なことではないか、と思ったりする。"

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